副店長記

日記みたいなもの。

奇跡の人

お疲れ様です。

 

「奇跡の人」というのはもちろん僕ではなく義父のことです。

いろんな意味で話題の東京オリンピックスタートの7/23、僕は休みで家族も出かけてたのでゆっくり寝てたら義兄から入電。義父が他界したとの知らせだった。

 

昨年の9月頃だったか?膵臓がんであと半年程の命と妻から聞かされた。

 

実は会ったこと無かった。

 

結婚して10年、妻とは結婚する3年前くらいに知り合ったけど話の中に父親が登場しなくて何かしらの理由で父親が居ないんだと察した。

両親が離婚して…というのは付き合うちょっと前に聞かされた。なぜか片親の女性としか付き合うことがなかった僕は「ふーん、そっかぁ」特に珍しくもない話だし深く掘り下げて聞くような話でもないので当時スルーした。

その話に最初に触れたのも結婚前にお義父さんに挨拶しなくていいのかな?と思い(当然)聞いてみたら「会うとろくなことがない、後悔するからやめた方がいい」と。

 

僕「ふーん、そうなんだ。」2回目のスルー。

お察し案件だな。会いたくもないのだろう。

世間の常識よりも空気を読んだ。

 

結婚して2年くらい経った頃だったか?経緯は憶えてないけど身の上話になった。おじいさんがハーフっていうことに驚いたけど、両親が離婚した経緯について聞かされた。簡単に言ってしまうと暴力と妹(叔母)の嫌がらせによる離婚で夜逃げ同然で家を出たそうだ。妻も小4とかで記憶が曖昧だったため正直詳しくはわからなかった。はっきりわかったのはその後どっちの姓を名乗るかの裁判が18になる頃まで続いたらしいことと、中学生になってからは父親のところに住んでた、母親がお金を貯めて迎えにいくと言われてたという事くらい。

すでに息子が産まれてたのでお義父さんに会わせたりしなくていいのか聞いたら「いいよそんなの」とのことだったのでそのまま月日が流れていった。

お互いにあまりお互いの過去に興味がない夫婦。

 

そして冒頭の話になり、桜は見れないという話だったのでさすがに会いに行くことになった。僕はあまり仕事が休めないのでひとまず妻子だけで。

11月に10年ぶりくらいに会った父親は病気のせいでだいぶ痩せ細っていたと。庭に突き出たテラスが荒れてて裸足の息子にトゲが速攻で刺さったことから病院に行くことになってしまい10分程の再会になってしまった。

ただ一つ僕も一緒に来るものだと思ってたらしくむちゃくちゃ緊張してたそうだ。

 

会わねばなるまい。

 

年末年始は僕個人が忙しくなかなか遠出することが出来なかったが3月中旬くらいに無理矢理有給取って会いに行った。

 

会いに行く前に、義兄だけで面倒見ることは当然できない。妻も僕の仕事の兼ね合い上できないしどうしたものか…。

話合った末義母も参戦することになった。

病気で弱ったせいなのかよくわからないけど、お互い水には流さないけどあの時はすまなかったと。現状として許し合うことができたそうだ。

 

義父は娘が元妻にお金を払って自分の面倒を見させてると思っていたようだが…。

 

いざ会いに行くと、僕よりもお義父さんが緊張しすぎてほとんど話せなかった。僕が会いに行く前は入院してて薬の影響で自分の置かれてる状況もよくわからないような状態だったそうだが、意識もハッキリしてバナナ食べたりしてる姿を見ると想像してたよりもはるかに元気そうに見えた。

「息子がうるさくしてごめんなさい、また会いに来ますね」と言ったら「賑やかでいいよぉ」と返してくれた。

またとは言ったものの桜は見れないという話だったのでこれが最初で最後かと思うと嘘ついてるみたいでいたたまれない気分だった。

お義父さん自身もあとどのくらいの命なのか知らなかったらしい…。

その数日後あと2週間以内には何かあると思ってくださいと訪問医療の医師から説明があったそうだ。

本人にようやくそのことを伝えたら一悶着あったようだが最後は自宅でという希望もあり義兄、義母は一ヶ月単位で休みをとっていた。

叔母(義父の妹)も見舞いにきた際に義母と和解した。

 

しかし2週間何もなくあっという間に過ぎてしまった。

最初に会ってから5月頭まで僕は何度かお見舞いに行った。

その度に思うことは、はっきり言って何があったのかは知らないし客観的的で無責任なものの見方だけど、バラバラになってしまった家族が父親の最期に再び家族として機能し始めてると思った。お互いをお父さん、お母さん、と呼ぶ姿を目の当たりににして目頭が熱くなった。

本来あるべきだったありえない光景というか、奇跡的な光景というか。

誠に勝手ながら会ってよかったと。

 

ただここで現実問題に直面することに。

現状維持しようとすると助成利用しても毎月18万ほどかかるようで仕事休んでる状態ではとても…。病院に入ってもらうことになった。

6月に入ってからだったか、医師は義父の病状を診て信じられなかったらしく病院内で「奇跡の人」と呼ばれる。

7月に入ってから意識が混濁してくるように。

亡くなる1週間まえにはもう目が開いてるだけの状態だったそうだ。

 

いざ対面するとよく聞くというか、今にも目を覚ましそうどころかちょっと動いてない?といった様子。これ以上はほんとに長いので割愛。

 

ほんとにいろんな意味で「奇跡の人」を目の当たりにした気がする。人の死というのはドラマだと思う。いろいろあったはずだがお義父さんは幸せだったのではないかと思いたい。

闘病お疲れ様でした。どうか安らかに。