副店長記

日記みたいなもの。

父親

お疲れ様です。

ちょっと落ち着いたので書き殴っておく。

纏まりはないしオブラートにも包んでおく。

 

先月オリンピックの開会式と同時に義父を亡くしたばかりですが、去る8月19日に実の父が他界しました。77歳でした。

 

義父の葬儀に際していろいろ用意しなくちゃいけないものがあって実家に借りに寄った際会ったのが最後でした。

 

僕が都内でディスカウントストアの店長をしてたころなので15年程前だったと思いますが、父は定年退職して嘱託として働いてた頃に前立腺がんが見つかったそうです。

手術すると下が緩くなるとかで手術はせず通院と薬で治療してました。

 

昨年の4月に用事があって実家に電話した際「お父さんは余命4ヶ月って言われて4ヶ月経ったんだけどあのヤブ医者何言ってんだか、この話は内緒にしといてくれ」なんて変なカミングアウトされた時には正直想像できませんでした。この時も何言ってんの?くらいにしか思わなかったです。まぁ一応秘密にしときました。

 

先にも書きましたが7月に会った時は想像できなかった…。姉も相当帰ってきていなかったのでLINEで送ってあげようと思いダブルピースしてってリクエストしたら快くしてくれて…チャック開いてたけどw

 

最後に話した内容はなんか今思うと遺言めいた感じがあったけど、極めてくだらない冗談だった。

 

8月18の夜に母から電話があり昼間救急車で運ばれた際に医師から「早ければあと数時間、長くてあと数日」と言われたと聞いた。義父のこともあり内心まさか数時間はないでしょ。なんて思った。だけどあのくだらない冗談が最後だと思うと涙が止まらなくなった。

 

とりあえず数時間というのは心底信じられなかったので、上司に連絡して事情説明しつつも自分じゃなきゃダメな仕事があったので明日は出ます、もしもの時は休むと連絡して寝ることにした。

 

 

6時過ぎだったと思う。母から父が亡くなったとの知らせを受けた。

 

いろんな思いが去来して軽くパニックになりそうでしたが仕事は行かねばと思い冷たいようだけど寝直してから仕事へ。同僚にも事情を説明してやるべきことを片付けて少し早めに上がらせてもらった。

 

母からは朝以降連絡もなく父は顔の広い人だったので忙しいんだろうとは思ったけどこちらも引っ越し準備の真っ最中だった為スケジュールは知りたいと思ったのと、引っ越しのために取った休みを使って明日行くよと伝えるべく電話したけど話中だった。

 

まぁわかる。当然そんな状況だろう。

何度か掛けてやっとコール音が聞こえワンコールで電話に出た…

 

「もしもし」

 

鮮明に聞こえたのは父の声だった…。

 

嘘でしょ?

俺朝変な夢でも見て実は父は生きてる?

死んだ父の霊のイタズラ?

むちゃくちゃ怖くなった。

もしもし以降電波の問題かノイズしか聞こえなくなりますます怖くなって電話を切った。

 

また繋がらなくなってしばらく掛け直し続けてやっと母が出た。「さっきお父さんが電話に出た!!」が僕の第一声だった。母もなんだコイツと思っただろう。

しかしさっきは電話に出てないと言う。

 

昔からこういった不思議なことがある家だった。祖父の葬儀から帰ってきたら誰も居ないのにピンポン鳴ったり、誰かの死に対して虫の知らせみたいなのがあったりすることがあった。

 

この出来事にオチはないけど母にスケジュール確認すると引っ越し業者がくる日はちょうど避けられるスケジュールだった。父がうまく避けてくれたのではないかと思うことにした。

 

突然の事だったのでさすがにかなり気落ちしてしまっていた。

僕の父親は亡くなってしまったけど僕もまた父親であり、父がこれまで頑張ってくれたことを考えるとここでいろいろなことに挫けてしまうわけにはいかなかった。

軽く荷造りをしてそこそこな距離を運転するため寝ることにした。

 

20日はいい天気だった。埼玉から5時間かけて来る姉とメシはどうするかなどと連絡とりながら実家へ向かう。市内に入ると空が開けて雲一つない青空が印象的だった。

午前中に葬儀屋さんがきて棺に入れる作業などがあるとのことだったので午後一に着くように帰った。

 

ありふれた表現ですが、父はまるで眠っているようだった。遅れて姉も到着し母から最後の様子を聞いたり、兄はスーツがカビてて遅れるなんて話しをし僕は義兄と約束があったので3時間ほどでトンボ返りした。

諸々の作業(後日まとめる)を済ませて21日、帰省してる家族を迎えに再び千葉県縦断。

義父に手を合わせ「お義父さんがこの前会わせてくれたと思ってます。ありがとうございました。」とお礼を言って嫁実家を後にして新居で一晩過ごした。

 

翌日通夜、葬儀に向け三度の千葉県縦断。

兄はすでに到着済みだったので仙台から来る甥を迎えに。8年ぶりにそれぞれに会ったけど歳取ったり立派になったりと感慨深いものがあった。葬儀場で通夜告別式をやったけど雰囲気に飲まれてしまい涙が止まらなくなってしまった。それに釣られて嫁は実の父親の葬儀よりも泣いてた。葬儀屋さんの演出がこれでもかっていうくらいうまかった。あんにゃろめ。

 

兄も父との思い出らしい思い出はないと言っていたが僕もそうだった。

ただ一つ強く印象的だった出来事は僕が働いていたお店に携帯電話を買いに来たことだった。

ずっと家には居らず一度外に出掛けて行ったら帰ってこない「鉄砲玉」と母はよく言ってた。

そんな父がまさか自分の職場にわざわざ買い物に来るなんて心底夢にも思わなかった。たまたま通りすがった常務に挨拶してる姿はなんだか誇らしく感じた。あれは嬉しかった。兄や姉よりもこういうとこは恵まれてると思った。

 

いろいろ父との間にも確執があったりもしたけどなんだかんだ言って尊敬できる父親だった。

まだちょっと信じられない。

 

僕も趣味人間なので「鉄砲玉」とか言われないように気を付けたいものだw

息子にお父さん大好きって言ってもらえるだけまだいいのかも。

今回2人も父親を亡くして思ったことはどんなに歳取っても父親は父親だということ。

不出来な息子ですまん。

怖いからもう電話には出ないでほしい。

 

 

 

ここまで育ててくれてありがとう。

どうか安らかに眠ってほしい。